「決められない会議」の正体
ある会社の会議室。新しいサービスを出すかどうかを決める場です。
一人目が言います。「まず市場規模とコスト構造を出しましょう。数字が揃わないと判断できません」。二人目が返します。「いや、まず現場が回るかどうかです。手順が決まっていないものは出せません」。三人目が口を開きます。「お客さんはこれを喜ぶと思う。私は感触があります」。四人目が締めます。「細かいことは走りながら決めればいい。まず出しましょう」。
四人とも正しいことを言っています。そして四人とも、相手の言っていることが「本題からずれている」と感じています。
この会議は決まりません。三回やっても決まりません。理由は簡単で、四人が「何が揃えば決めていいのか」の基準を共有していないからです。議論の中身ではなく、議論を終わらせる条件が定義されていない。だから何時間話しても、終わりが来ません。
判断の入口は、人によって違う
人は情報を受け取るとき、無意識に「まずどこを見るか」が決まっています。数字から入る人、手順から入る人、人の気持ちから入る人、全体像から入る人。
これは性格の良し悪しでも、優秀さの差でもありません。使いやすい入口が違うだけです。ところが本人にとってその入口は「当たり前」なので、別の入口から入ってくる相手を見ると、こう感じます。
「話が飛ぶ人だな」「細かすぎる」「感情論だ」「現実が見えていない」。
厄介なのは、この評価が人物評として定着してしまうことです。「あの人は理屈っぽい」「あの人は詰めが甘い」。一度そう見えると、次の会議でも同じフィルターを通して聞くことになります。相手が何を言っても、まず「またその話か」が先に立つ。
会議が三回に伸びるのは、議題が難しいからではありません。四人が四つの入口から入ってきて、それぞれが「相手は本題に入っていない」と思っているからです。
決めるべきは結論ではなく、「決め方」のほうが先です。
「意見が割れている」のではなく「土俵が違う」
ここを取り違えると、対策を間違えます。
意見が割れているのだと思えば、対策は「議論を尽くす」「多数決をとる」になります。しかし土俵が違うのだとしたら、議論を尽くすほど平行線が長くなるだけです。多数決をとれば、たまたま人数の多かった入口が勝ちます。決まったように見えて、負けた側は納得していません。だから実行段階で止まります。
実際に必要なのは、議論を始める前の一手です。「この件は、何が分かれば決めていいことにしますか」。この一言を最初に置くだけで、四つの入口が一本にまとまります。数字が要るのか、手順が要るのか、現場の納得が要るのか、それとも今回は勢いで出してみるのか。
決めるべきは結論ではなく、「決め方」のほうが先です。
入口の違いは、本当は強みになる
誤解のないように書いておくと、四つの入口が揃っていること自体は、その会議の強みです。
数字を見る人しかいない会議は、現場が回らない企画を通します。勢いのある人しかいない会議は、採算の合わない企画を通します。四つ揃っているからこそ、抜けの少ない判断ができる。
問題は、揃っていることではなく、揃っていると気づいていないことです。全員が「自分の入口が普通」だと思っているうちは、多様さはただの摩擦として現れます。「この会議には四つの見方がある」と全員が知った瞬間から、同じ顔ぶれが強みに変わります。
自社で確かめられること
次の会議で、一つだけ試せることがあります。議題を読み上げたあとに、参加者へこう聞いてみてください。
「この件、あなたは何が分かれば判断できますか」
返ってくる答えが全員バラバラだったなら、その会議はこれまでも決まっていなかったはずです。そして、それは誰のせいでもありません。